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2008年10月03日

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ドキュメンタリー映画「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」について。

 

シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たちのことを語ってくれたのは、インド舞踊を研究している識字文化センターの黒川妙子さんだった。南インドのタミルナード州で、ダリット(不可触民)の少女たちを集め、裁縫や読み書き、権利意識について教えているカソリックの修道女が、彼女たちにダンスを教え、差別反対のための公演をしている。それが素晴らしいという話に、引き寄せられるものを感じインドへ渡った。

彼女たちが叩き踊るタップーというドラムは、本来ダリット(不可触民)の男性によって、上位カーストの葬儀における前触れ太鼓として演奏され、ダリット自身の葬儀で叩くことは許されない。職業の世襲、職業を取り巻く慣習がカースト制を維持する骨格にあった。ダリット、しかも女性がこの太鼓をステージ上で叩くことは、過去の因習を撃ち破る二重三重の意味があった。

撮影をしながら、私はカースト制がいかに人々を抑圧差別しているかを教えられた。しかし、ダンサーたちは美しかった。「ダンスの素晴らしさ」から、「カーストの問題」へとテーマがシフトしかけていた私の気持ちは、シャクティのメンバーたちと親しくなるにつれ、再度、「人間の美しさ・・・」に引き寄せられた。

先進国社会において、神の作った秩序と人間の作った秩序が闘っている。本来次元の異なる、住み分けが出来るはずのものたちが闘い始めている。

そのことがメッセージとして、伝わってくる映像を私は目指した。

シスターは「幸せとは?」という質問に、「集まること」と答えた。

そして、最後のインタビューで、美しさは「わかちあうこと」と言った。その言葉に私は先進国に対する警告を聴く。

 

シスターは、ダリットの村人の中に、神を見る。

同時に、神たちに権利意識を啓蒙する役割を引き受けた。その矛盾が、あの一瞬の悲しみの表情に現れているのかもしれない。

シャクティの風景に答えはない。

そこにあるのは、いまの時をわかち合う人類に対する問いかけだった。理論ではなく、感性への問いかけだった。

人間はなぜ踊るのか?

神の作った秩序を思い出すためかもしれない。

 

松居 和

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インドは原点でした

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 インドは、私の思考の原点。三十四年前、二十歳の時に行って一年余り過ごした体験、その時インドで見、感じた風景が、いまでも保育や親心の問題を考える時の発想の土台にあります。「保育」は「子育て」です。他人が、国家的な仕組みの中で他人の子どもを育てる、という人類が経験したことのない「新しい子育て」の形です。だからこそ保育を考える時、私はインドの風景を思い出すのです。当たり前のように先進国社会が受け入れている学校や幼稚園•保育園を、人間が何千年もやってきた子育ての風景に照らし合わせるのです。そして、「仏教保育」という言葉をもう一度、素直に見つめると、仏教が生まれた国、生まれた時代の風景をいま知ることは、大切なことではないかと思うのです。「仏教」と「保育」。この二つがいかに近しいものか考えさせられるのです。

南インドのタミルナード州で、ダリット(不可触民)の少女たちを集め、裁縫や読み書き、権利意識について教えているカソリックの修道女が、彼女たちにダンスを教え、差別反対のための公演をしている。それが素晴らしいという友人の話に引き寄せられ、三十年ぶりに私は懐かしいインドへ戻って行きました。インドはやはりインドでした。空気に漂う先進国が失ってしまった「何か」、言葉では言い表わし難いのですが、私はその「何か」を感じると、少し落ち着きます。大地や時間との一体感、人間の意識が時空を超えることができるという感触、大きなものに包まれている感じです。ヒンズー教の影響でしょう。インドはとてもバーチャル(仮想現実)な世界です。仮想現実が人々の生活に生きています。

夜、電気を消して眠りに入ろうとすると、窓の外で野良犬が吠えているのが聴こえました。

 その瞬間、私はさっき考えていた「何か」を見た気がしました。インドの野良犬は飼い主のいないれっきとした野良犬。痩せて皮膚病や咬み傷のあとがあって、ぶらぶらと人々の日常の隙間で暮らしています。人間の意志とは関係ない所で生きているようです。犬たちには犬たちの次元があって、人間の営みの間を縫うような動きです。吠える声から連想したのは、闇の中を動き回る彼らの自由でした。小走りに走る足音。それが、私のいる空間にもうひとつ別の次元を加えるのです。思い通りにならない次元を…。先進国に住んでいると忘れている現実が五感に甦ってくるのは、私がまだ太古の記憶をDNAの中に持っているからでしょうか。

 ダリットの少女たちのダンスの美しさ、潔さに魅了されテープを回し、カースト制がいかに人々を抑圧差別しているかを教わりました。しかし、同時にダンサーたちは美しかった。「ダンスの素晴らしさ」から、「カーストの問題」へとテーマがシフトしかけていた私の気持ちは、踊り手たちと親しくなるにつれ、再度、「人間の美しさ・・・」に引き寄せられました。

先進国社会において、大自然の作った秩序と人間の作った秩序が闘っています。本来次元の異なる、住み分けや交流が出来るはずのものたちが闘い始めている。それが伝わる映像を目指しました。親が子どもの幸せを願い、子どもが親の幸せを願う、人間社会の幸福感の基本は、制度に縛られた踊り手たちの風景の中で確かに受け継がれていました。女性たちによって受け継がれていました。

 シスター・チャンドラは「幸せとは?」という私の質問に、「集まること」と答えました。そして、最後のインタビューで、美しさとは「わかちあうこと」と言いました。

 最近、私は日本でこの二つの言葉を繰り返します。「集まること」そして「わかちあうこと」。人間の進むべき道があるのだとしたら、この二つの言葉を幸せのものさしにして進まなければいけない、と思うのです。

 一人で撮って編集した「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」は、春に第41回ヒューストン国際映画祭の長編ドキュメンタリー部門で金賞をとりました。(これはちょっと自慢です。)宗教を越えた普遍的なテーマを、審査員の人たちが感じ取ってくれたのだと思います。そして、今月、宗教間の違いを乗り越え理解を深めるという主旨で行われている、イタリアの国際宗教映画祭の招待作品になりました。映像でなければ伝わらないこと、音楽でなければ伝わらないこと、祈りの世界には言葉では言い表せない部分がたくさんあります。この映画のDVDを私が委員をしている埼玉県の教育局の人たちに見てもらいました。すると、いままで私が委員会でしてきた発言に、不思議な実感が伴うらしいのです。インドの野良犬が私に伝える「何か」が、映像や音楽を通して、教育局の人たちにも伝わるようなのです。

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モーリスとの思いで

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「フルトベングラーの指揮で演奏したことがあるんですか?」私は驚いて訊き返した。

 モーリスは笑って頷く。カクテルで口を湿らせると、

 「パリ管弦楽団のティンパニー奏者だったからね、私は」

 モーリスはさっきから、問われるままに思い出話をしていた。

 「私は十九才で、第二奏者になった。戦争で中断したが」

 「まだ学生じゃありませんか」

 「ティンパニー奏者としては、天才だった」そう言うモーリスの眼が自慢気に笑った。

 「終戦になって数年たった秋、ようやく楽団を復活させ軌道に乗せた私たちは、フルトベングラーの指揮でベートーベンの五番をやることにした。……パリのサロンはその話題でもちきりだった。音楽通でない者でも五番は知っている。しかも、指揮者は当時ヨーロッパにおける最高の指揮者であっただけでなく、その演奏が特別な意味を持つ指揮者だった。……戦時中ヒトラーに協力したという理由で、フランス政府は終戦後フルトベングラーが国内で指揮することを禁じていた。それがその年解かれたんだ」成功者としての歳月が脳裏から消え、本人が呼び覚まされたように、作曲家は続けた。

 「今みたいに音楽に色々なジャンルがある時代じゃない。切符はあっと言う間に売り切れ、私のところにも、なんとか手に入らないかという友人からの問い合わせが毎日のようにあったよ。フルトベングラーのパリにおける復活は、フランス人にとって大きな意味があった。それが実現して終戦、と考えた人たちも居たんじゃないかな。ドイツとフランスは陸続きなんだ。このニュアンスはちょっと説明が難しいが……」

 「……」

 「私の出番はないはずだった。が、リハーサルが始まるのがなんと待ち遠しかったことだろう……」とモーリスは笑った。

 「ところが、当日、本番前になって、首席ティンパニー奏者が急病で出られなくなったんだ。当然、私が代役を務めなければならない。第五交響曲は、ティンパニー奏者にとっては演奏しがいのある曲の一つだ。ほとんど暗符でやれるくらいよく知っていた。しかし、初めての指揮者でリハーサルなしは無茶だと思った。観客はすでに劇場に入っていて、本番は迫っていた。コンサートをキャンセルできるはずはない。私は腹をくくった。フルトベングラーの指揮で叩けるチャンスなんて、そうそうあるわけじゃないからね」

 家の裏手で馬のいななく声がした。ユーカリの臭いが風に運ばれてくる。

 「女房の馬だ。金がかかるだけで、番犬にもならないんだ」モーリスはそう言って肩をすくめた。傾きかけた午後の太陽が、木々の緑に柔らかく反射していた。モーリスは話し上手だった。適度の誇張が、子供っぽく、フランス訛の英語によく似合った。

 「三楽章から四楽章に入るところにティンパニーのロールがあるだろう」モーリスは真剣な面持ちで膝に手を置くと、言った。「ピアニシモからゆっくりクレッシェンドして爆発的に次の楽章に入ってゆくところだ」

 私はちょっと考え、頷いた。

 「そこのタイミングが心配だった。リハーサルの時どうやっていたか懸命に思い出そうとしてみたが、わかっているような気もするのに、もうひとつおぼろげで自信がない。開演時間が近づくにつれ、私はますます不安になった。考えれば考えるほど頭の中は混乱した。私は意を決して、指揮者控室の扉をノックした。生徒が先生に叱られに行くような気持ちだったね。

 『マエストロ……』、私は恐る恐る尋ねた。『最終楽章に入るタイミングはどうしたらいいでしょうか』とね。フルトベングラーは私を見つめると、『君は第二ティンパニー奏者だね』と訊いた。私が頷くと、たった一言、『私の眼を見ていなさい』と言った。私はそれ以上質問することが出来なかった。不安だったがどうしようもなかった。そうして幕が開いた。超満員だった。世紀の大指揮者が、この最もよく知られている交響曲をどう指揮するか。ドイツの音楽がフランスに公式に帰ってくる日だった。大戦の、口では言い現わせない屈辱的な思い出が、つい昨日のことのように人々の心に生々しい傷跡を残していた時代だ。皆かたずをのんで見守っている。パリの音楽関係者のほとんどが会場に姿を見せていた。私は思わず神に祈った。

 私にそれ以上考えるチャンスを与えないかのように、すぐに曲が始まった。第一楽章、第二楽章、と私は夢中で、しかし無難にこなしていった」

 モーリスは椅子から身を乗り出し、その時の興奮と緊張が再び戻ってきたかのように口調に熱がこもった。

 「いよいよ三楽章に入った。私の不安と競争するかのように、いや、もっと早い速度で曲はあっという間に問題の箇所へ来てしまった。フルトベングラーはオーケストラをがっちりと掌握し、無心に指揮棒を振っている。しかし一度もこっちを見てはくれない。私は、マエストロが、私がここにいるのを忘れてしまったのではないかと蒼くなった。ロールが始まってしまった。

 『マエストロ!』と私は心の中で叫んだ。『どうかこっちを見て下さい……』その時、フルトベングラーがふっと顔を上げて私を視た。私は必死にマエストロの眼を視返した。物凄い力だった。ティンパニーはオーケストラの最後部にあって指揮者から一番離れているのに、私はその眼にぐいぐいと物凄い力で引き寄せられ、まるで目の前にマエストロの顔があるみたいだった。夢中でロールにクレッシェンドをつけていった。ああ、切れる!と思った瞬間、オーケストラは大音響を立てて第四楽章に飛び込んでいった。もちろん私も一緒だ。そのあとは、もう、ベートーベンが私にとりついたと言うのか、何とも説明のしようがないな。数十人の人間が、性格も考え方も、生き方もまったく違う人間が、あれほど完璧に一体になれるなんて奇蹟だと思うよ。私は巨大な渦の真ん中で、胸を張り、何も考えず凄まじい勢いで叩き続けた。私はそのとき、あの偉大なフルトベングラーとさえ一体になっていた。彼が指揮者で私がオーケストラの一員などというもんじゃない。私は彼と同じ所にいたんだ」

 最後の荘厳な和音が全てを言い切るように沈黙に還った瞬間の静けさ、そのあとに押し寄せた大歓声を、今でも新鮮に感じることができる。

 「私はただ茫然と立ちつくしていた。ふと我に返りマエストロを見ると、マエストロが私の方を見て、ニコッと笑ったんだ」

 私にとってあの日は……、そう言いかけてモーリスは口をつぐんだ。

 

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2008年10月25日

シャクティ来日記念公演

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シャクティ来日記念公演2

「シスター•チャンドラとシャクティの踊り手たち」来日公演 情報

シスター・チャンドラ 社会貢献支援財団「社会貢献賞」受賞記念

会場 東京ウィメンズプラザ ホール(青山国連大学隣り)
渋谷区神宮前5-53-67 電話 03-5467-1711(代)
11月11日(火) 15:00と18:30
11月12日(水) 15:00と18:30 (計4回公演)

企画・制作:松居 和、黒川妙子
    
チケットのお問い合わせはロード・プロモーションまで   ¥3000
電話: 043-293-2828 FAX: 043-293-2869
ADD: mail@roadpromotion.net
電子チケットぴあpia.jp/t (Pコード:390−208)
詳しい情報は http://sakthi.luci.jp/

(社会貢献支援財団「社会貢献賞」授賞式は11月17日ANAホテル10時)


インドの大地からダリットの女性たちの美しく力強い舞踊がやってくる

初めて日本の地を踏む、シャクティの踊り手たち。南インド・タミルナード州からやってくるダリット(不可触民)の少女たちと、一人の修道女。
ひとはなぜ踊るのか。2000年に渡るダリットの喜びと怒りと悲しみを背に、少女たちは力強く、清々しく、潔く、踊る。彼女たちを集め、育て、見守るシスター•チャンドラ。
今回、日本社会貢献支援財団によってシスターの長年の功績が表彰されるのを記念し、その活動を紹介。踊り手たちが、インドを震撼とさせた踊りを披露します。時空を越えた、不思議な出会いを体験しませんか? 音楽家も三人村から来ます。


ドキュメンタリー映画「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」
一部上映
2008年第41回ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭、長編ドキュメンタリー部門金賞受賞
Heart of England国際映画祭審査員特別賞、南アフリカ国際映画祭招待作品、国際宗教映画祭招待作品

松居 和 制作監督作品。

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2008年10月26日

シャクティ来日記念公演3

一生懸命動いていると、様々な絆が出来ますね。
昨日は、シャクティ応援団久我山組の山田順子さんに、千葉の明和輝保育園の内山園長から、シャクティ来日プロジェクトにお米5キロの寄付があった、と言ったら、「お米なら、いい牧師さん知ってる。これから行こう」と言って、富士見ヶ丘の阿蘇牧師のところに夜の10時に突然二人で押し掛けました。不思議な人がいますね。河合塾で教えながら、栃木でお米をちょっと問題を抱えている青年たちと作っている牧師さんです。さっそく、一俵寄付します、と申し出て下さいました。
何しろ、黒川さんの家に15人で泊まるのです。18日間も。(そのうち英語が話せるのは二人だけ)大きな炊飯器を山田さんの教会から借りたり、太鼓を暖める用の電熱器を探したり、大変なのですが、お米だけは買わなければいけないね、と黒川さんと話していたら、なんとなんと、手に入りそうなのです。これも、God's Willでしょうか。

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2008年10月27日

私の好きな映画

私の好きな「私の演奏が入っている映画」は、レジェンドオブフォールです。
ブラッド・ピットとアンソニー・ホプキンスが共演している映画です。
私の尺八がインディアンの魂を表しているような気がします。バックはロンドンシンフォニーです。
アメリカインディアンの詩や、哲学に興味を持っています。
こんな文章を書いたことがあります。

 私の好きなインディアンの大酋長にジョセフという人がいます。150年くらい前に生きた人です。ある時ジョセフが白人の委員とこんな会話をしたのです。
 ジョセフは、白人の学校などいらないと答えた。
 「なぜ学校はいらないのか?」と委員がたずねた。
 「教会をつくれなどと教えるからだ」とジョセフは答えた。
 「教会はいらないのか?」
 「いらない。教会など欲しくない」
 「なぜ教会がいらないのか?」
 「彼らは神のことで口論せよと教える。われわれはそんなことを学びたくない。われわれとて時には地上のことで人と争うこともあるが、神について口論したくはない。われわれはそんなことを学びたくないのだ」
(「我が魂を聖地に埋めよ」ブラウン著 草思社より)

 もともと西洋人が学校教育を作った背景には、識字率を上げようという意図があり、聖書を読める人間を増やす、というかなり具体的な目的がありました。アメリカ大陸に来て、西洋式の神を知らないアメリカインディアンを西洋人は不幸な人たち、野蛮な人たちと見て、学校教育が必要だと考えたのです。
 ところが、ジョセフは、神はすでに在るもので、議論の余地のないものと見ていたのです。学校という西洋的な仕組みの本質をついた視点です。当時なぜジョセフがそれを見破ったか。大自然と一体になった人間の感性が働き、子育てに関して何かが欠けているのを見抜いたのかもしれません。神のことを広めようとする白人の行動に、神の存在を感じなかったのかもしれません。
 「逝きし世の面影」渡辺京二著の中に出てくる日本人の姿と大酋長ジョセフを私は重ねます。西洋人が、日本人は無神論者的だと感じた風景の中に、実は幼児をながめ、同時に神や宇宙を眺めることが出来る特殊な文明が存在していた。そして、西洋人はその無神論者的な人々の社会に、なぜか一様にパラダイスを見た。
 ジョセフがこの発言をしたちょうどそのころ欧米人は、日本というパラダイスを見ている。アメリカインディアンの生活が原始的であったがために、日本を見て感じたパラダイスが見えにくかった。同じ人間の営む一つの文明としての敬意を払うまでに至らなかったのだと思います。
 当時日本に来た欧米人が驚いたことの一つに、日本の田舎では村の家々の中が見渡すことができた、というのがあると前の章で書きました。当たり前のように時空を共有することが、パラダイスを形成する安心感の土台にあったのです。もし、同じような観察をアメリカインディアンたちにもしていたら、西洋人はもっと大きなパラダイスをそこに発見していたかもしれません。
 西洋人が学校を使ってインディアンたちに教えようとしたことの一つに「所有の定義」がありました。共有の中で生きて来た人たちは、西洋人が、彼らが正当と思うやり方でインディアンから土地を手に入れても、そこから立ち退くことがなかった。土地は天の物、神の物であって、人間が所有出来るものではなかった。この視点の違いから、悲惨な闘いの歴史が始まっているのです。
 日本では、もちろん以前から土地の所有に関して血で血を洗う闘争の歴史がありました。しかし、それは主に武士階級の間で行われ、村人の日々の生活の中に、現実としてあったのは、共有の精神だったのだと思います。一人の赤ん坊を育てるには数人の人間が必要で、そのことが未来を共有する感性を人々に与えたのだと思います。システムだけ見ているとわからない、別の次元や幸福観を村人はちゃんと持っていた。西洋人の観察の中に、確かに日本には封建制はある、武士は一見威張っているように見える、しかし、なぜか村人たちは武士を馬鹿にしているような風がある、というのがあるのですが、このあたりが本当の日本の姿だったのではないでしょうか。  (後略)


ところで、私が尺八を吹いていない映画で好きなのは、と考えましたが、けっこうたくさんあるのです。見た回数が多い、ということで言えば、

ブラックスタリオン (映像と音楽だけの部分がこれほど多い映画もないでしょう。しかも、音楽が、「音」主体)
サウンドオブミュージック (仕方ないですよね。絶対いいです)
フォレストガンプ     (人類が進化するべき方向性を示唆しているだけでなく…)
アラビアのロレンス    (何度でも見ることが出来ます。アンソニークインがいいし…)

ロビン・ウィリアムスの出ているのは大体好きです。モークとミンディというテレビコメディーをやっていたころからのファンです。

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2008年10月28日

シャクティ来日記念公演4

永福町のサラスワティさんの紹介で、山本洋子監督に会いました。DVDを見て下さることになりました。ご主人の山本駿さんは撮影監督を長くなさっていた方です。
色々、話をうかがいました。
本格的な映画を作るのは大変な作業です。当たり前ですが。でも、私の様にゲリラ的に超低予算でも海外で賞をいただいたり出来るのですから、コンピュータの進歩に感謝です。
家内は、今日からローマへ行きます。Film Festival of Religion and Cinemaの授賞式です。私も行きたかったのですが、静岡で教育講演をすることが以前から決まっていたので、残念ながら子どもと留守番です。ワークショップの最終日には法王様に会えるかもしれなかったのですが。
向こうでコンタクトが出来た場合に備えて、Sakthi.luciの英語セクションをチェック。

来日公演のチラシを、とにかく蒔き続けています。山本監督も来てくれるそうですし、最後の追い込み。もうあと2週間。頑張ろう。本も書かなければいけないし。

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嵐の夜

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この夜は嵐で村中が停電になりました。
天からいただいだロウソクだけの不思議な婚約式。
いつもの通り、オートフォーカス、オート露出。
液晶ファインダーに映し出される映像に、ただただ魅了されていました。

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2008年10月31日

インドの映画

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インドの映画といえば、やはり「大地のうた」。最初に見たのは高校生のころ、岩波ホールだったと思います。その後、実際にインドの風景に触れ、あの時の「大地」を肌で感じたのを鮮明に覚えています。それほどあの映画のインドは怖いほど正確にインドだった。この写真は「大地のうた」の監督サティアチット・ライのカルカッタの自宅を訪ねて撮ったもの。当時、インド映画の音楽を担当した時に友人の監督が連れて行ってくれました。さすがに感激。哲人という風情でした。
この時は、まさか自分がインドを舞台にしたドキュメンタリー映画を作るとは思ってもいませんでした。
「大地のうた」の音楽を担当したのがラビ・シャンカル。
彼とは、コンサートでもアルバムでも共演しました。ロサンゼルス近郊のオーハイ音楽祭、そしてジョージ・ハリソンがプロデュースしているアルバムでした。

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